2022年8月24日、人気俳優で歌舞伎役者でもある香川照之さんの銀座ホステスへの性加害報道が出ました。
こどもにも人気がある香川照之さんのまさかの報道に驚きましたね。
女性問題が表沙汰になったことで、奥さんや子どもたちもさぞかし心を病んでるはず… と思い調べてみると、すでに香川照之さんは離婚をされていることがわかりました。
そこで今回は香川照之さんの元妻と離婚した理由とその経緯について調べてみました!
香川照之の元妻はJALのCA!二股交際からの結婚!?
香川照之は元妻に一目ぼれ!元カノを捨てて結婚?
香川照之さんは最初の結婚は1995年
日本航空国際線(JAL)のCAだったの知子夫人と12月7日に入籍されています。

詳しい馴れ初めまではわかりませんが、噂によると香川照之さんが知子さんに一目惚れして、猛烈にアタックしたんだとか。
しかし二人の新婚生活はいきなり修羅場を迎えます。
というのも、入籍した直後に「冴木杏奈」さんという美人タンゴ歌手との二股交際が報じられたからです。

何故ならこの時、香川には長らく付き合っていた別の恋人がいたからです。彼女の名は、冴木杏奈。タレント兼タンゴ歌手の女性でした。2人の交際はかなり前から公になっており、一時は婚約関係にあったとされています。冴木が所属していた事務所を退社したときなどは「いよいよ結婚秒読みか?」と思われていたのですが、ほどなくして2人は別れてしまうのです。
出典:exciteニュース
冴木杏奈さんが当時所属していた『小澤音楽事務所』を辞めたところで、交際関係であることを知っていたマスコミは『香川照之と結婚秒読み』と大きく報じました。
しかし、その報道があってから数ヶ月後の1995年12月に香川照之さんは知子夫人と入籍することになったのです。
そのため世間では「いくらなんでも急すぎる!」「時間軸的におかしい!」と噂されることに。
メディアにはたびたび「二股交際では?」と取り上げられ、バッシングの対象となりました。
これらの報道に対し、香川照之さんは釈明はしなかったというのですから、やはり本人的にもなにかやましいことがあったのかもしれません。
香川照之と元妻が離婚!21年間の結婚生活にピリオド!

入籍当初のゴタゴタを乗り越えた二人。
それ以降以降、特にスキャンダルらしいスキャンダルもなく、仲睦まじい家庭を築いていったようです。
二人の子宝(一男一女)にも恵まれ、子供たちが学校に出かけたあと、夫婦だけでランチするなど夫婦関係も円満だったようです。
しかし、2016年12月12日に21年間の結婚生活にピリオドを打つことになります。
おしどり夫婦だった二人の離婚の裏にはどんな事情があったのでしょうか?
香川照之の元妻が離婚を決意した3つの理由!
知子夫人との離婚の原因について、当時香川照之さんは「私の力不足」という曖昧な回答に終始するばかりでした。
香川照之さんと元妻、知子夫人との離婚した理由は何なのでしょうか?
離婚理由① 親子での梨園入りによる環境の変化!
父・市川猿翁さんと母・浜木綿子さんが離婚し、45年間に渡って親子の関係が断絶していた香川照之さん。
しかし歌舞伎役者になる夢を捨てきれなかった香川照之さん。
そのため父との和解を模索し、2012年の「六月大歌舞伎」の舞台で香川照之さんは『市川中車』として香川照之さんの長男・政明くんは『市川團子』として梨園入り果たすことになります。
そこには『自分が澤瀉屋の看板名跡である市川猿之助を継げなくても、息子には何としても継がせたい』という思いがあったようです。
しかし、このことが結婚後、家事と育児に専念してきた知子さんにとって大きな負担となってのしかかることになります。
「それまで家事と育児に専念してきた知子さんにとって、梨園妻の務めを果たすことは簡単ではありませんでした。和服の着こなしや梨園妻としての仕事を学び、長男の踊りのお稽古送迎もしなくてはなりません。また長男のデビュー後は、演舞場で挨拶まわりにも奔走していました。さらに猿翁さんとの同居が始まると、介護の負担も重くのしかかることになった。彼女は目に見えて疲れているようでした」
出典:女性自身
俳優の妻としてだけでなく、しきたりの多い「梨園の妻」としてのふるまいを突然課せられた知子さんへのプレッシャーは相当なものだったに違いありません。
離婚理由② 義父猿之助の同居と介護に心身ともに疲れた
2011年には、45年間断絶していた父・市川猿之助さんと雪解けし、同居していることを発表します。
「今年の春から、45年間無縁でありました父と同居しております。三世代の同居です」
さらに、猿之助の妻で、2009年3月に肝不全で亡くなった藤間紫さん(享年85)に代わって猿之助を支えてきた女性・A子さんも香川の自宅で同居していることが発覚します。
しかし、別々に暮らしていた者同士の同居とはそう甘いものではありません。
父・猿之助と親しい歌舞伎関係者が次のような告白をしています。
「実は、猿之助さんとA子さんは、あの会見以降、一度も香川さんの家に帰っていないんです。会見のときはまだ入院中で、それからしばらくして退院したんですけど、猿之助さんが“あの家には帰りたくない”といい出したんです。それで困ったA子さんは、猿之助さんを連れて、彼の軽井沢の別荘で暮らし始めたんです」
出典:NEWポストセブン
香川さんと暮らし始める前までは、A子さんとふたりきりで悠々自適に暮らしていたようなので、だれかと同居すること自体、煩わしく思うのは当然です。
一方の香川さん家族にとっても相当なストレスがあったことは容易に想像できます。
当時、パーキンソン病にかかっていた市川猿翁さんは、夜中に不安定になることもあったそうです。
猿之助さんはパーキンソン症候群という病気を患っていて、その影響からか精神的に追い詰められるときがあって、夜中に奇声をあげたり、塞ぎこんで“死にたい”といい出したりすることもあったそうです。
出典:NEWポストセブン
なれない相手との同居に加え、猿翁さんの介護の負担も重くのしかかることになった知子夫人は、心身ともに疲れ切っていったのでしょう。
特に下の子は幼稚園の受験だったので、一時はお子さんを連れて家を出ようと考えたこともあったそうです。
結局この3世代同居は、わずか数カ月で解消してしまうわけですが、知子さんにとって離婚のきっかけになったことは間違いなさそうです。
離婚理由③ 耐え難い「梨園」という世界
右も左もわからない中で突如「梨園の妻」となった知子夫人。
そんな彼女を待ったのは、先輩梨園妻たちからの“いじめ”と言える仕打ちだったといいます。
「劇場ロビーで挨拶をする際も、知子さんにとっては知らない人ばかり。でも後ろ盾がない彼女には教えてくれる人もいないのです。そのうえ香川さんは父の後をついて回らなければならないため、現場は彼女が仕切らなくてはなりません。しかしそんな彼女への先輩妻たちの対応は冷ややかでした。面と向かっての嫌がらせはなかったものの、知子さんが挨拶をしても無視するなど“いじめ”のような状態が続きました」
出典:女性自身
香川照之さんも歌舞伎界ではまだまだ発言力がない中で、突如「梨園の妻」となった知子夫人の心労は想像以上のものだったのでしょう。
さらに攻撃は知子さんのみならず長男の政明くんにも及びます。
「伝統芸能の重鎮のひとりがブログで市川團子のことを“只の駄馬”と酷評したのです。名前こそ出していなかったものの、それが團子のことを指すのは明らかでした。自分だけならまだしも、息子まで攻撃された。そこで彼女の心は折れてしまいました」
出典:女性自身
”駄馬”は”下等な馬”という意味です。
自分だけでなく、かわいい我が子まで攻撃の矢が向けられたことに耐えられなかったのではないでしょうか。。。
知子さんの結婚生活は、香川照之さんと義父・猿之助さん・梨園との関係で突如狂い始めたといって過言ではありませんね。
香川照之と知子夫人は別居生活から離婚へ…
2014年夏からは香川照之さんと知子夫人は別居生活始めます。
そんな“地獄のような日々”のなか、本誌記者が最後に彼女を公の場で目撃したのは14年11月。実はこのころから、すでに夫婦の別居生活は始まっていた。14年の夏、香川はそれまで家族で暮らしていた都内の自宅から、別のマンションへ引っ越していたのだ。
出典:女性自身
当初は冷却期間を持つための別居だったんだとか。
しかし、別居したことで夫婦間の溝はむしろ深まってしまい、ついに弁護士を間に入れての離婚協議を行うまでに至ってしまったようです。
心身の疲弊と耐え難い状況が、いつしか香川照之さんに対する不信感という形で積もり積もっていったのもしれませんね。
まとめ
今回は香川照之さんと元妻・知子夫人が離婚した理由と経緯についてまとめてみました。
人気俳優の嫁ということで結婚当初から色々と話題になっていた知子さん。
離婚理由の根底には”梨園”という特殊な世界が関係していることが判明しました。
もし、香川さんが歌舞伎界に関係のない一俳優であったのなら、今も円満な家庭が続いていたのかもしれません。
ただ、香川照之さんと離婚後、知子夫人はもちろん、二人のお子さんも前を向き、着実に次の人生を歩んではずです。